9月16日 ~臥薪嘗胆( 逃げ帰った丹後 )~

2024年09月16日

15日(日)朝4時40分スタート

人生三回目の 丹後ウルトラマラソン

。これでウルトラは最後にしようと決め準備を進めてきた。

結果を言うと 第二関門55キロにて制限時間オーバーでリタイアとなった・・・

原因は三つある

一つ目は4月から最低1000㎞の練習距離を自分に課していた。

今年は出場を前から決めていたため 本番の暑さ対策として室内によるマシン練習を行わず あえて一番高い気温の時に練習を実施した。

そのなるとどうしても距離を稼げず、かといって練習時間も限られるため 総距離 936㎞。

練習不足も甚だしい・・・まあ 言い訳一つ目。

 

二つ目は足の具合が良くない。

インソールを病院にて作成したのであるが 大会一週間前から痛みが再発。

今から持ち込んでも間に合わないと判断し、このまま着用した。

さらに 靴ひもを変えたのが良くなかった。暑さで水をエードごとに毎回かぶるとどうしても靴に水がかかり必要以上に靴が閉まる。

一度痛むともう取り返せない。緩めたところで痛みは増すばかり。

試合直前からロキソニンを服用し 競技中も使用量最大まで服用したが痛みが治まることはなかった。・・・言い訳二つ目。

 

三つめは会場に向かう際からも高速道で事故に巻き込まれ大会本部に着くのが遅れ・・・まあアクシデントはつきものであるのでそれはそれで経験。

ただ 自分自身の病気ともいえる 『寝れない病』が突如この大事な日に訪れてしまった。

大会前日は早い夕食を取り 遅くとも夜8時には就寝し 早朝一時半には起床、朝食をとる。

8時に床に就いたが・・・寝れないのである・・・羊を数えても・・・普段はわずか数分でバタンキュー・・・の私が一番驚いた。

思えば思うほど 眠気が去ってしまい 集団部屋の男たちのいびきの合唱大会の中で正気を保っていただけ・・・

結局目を閉じて 体を動かさずいただけで 精神は閉じることはなかった。

つむった目の奥で眠気の神の降臨を待っていた。

だが 神が訪れることはなかった。・・・言い訳三つ目。

 

走りながら(途中からは 足を引きずりながら早歩きで) とにかく 人様が止めるまでは競技をやめないと決めていたし、今のできる力の最大を・・・

と共に苦しみながら前を向く人たちとそれなりに想うことのある時間を過ごせた。

が、関門でアウトになり 自分のゼッケンに赤字で×が書かれた時に 何か今まで大事にしてきたものが崩れる音を聞いた。

もともと肥満体で 運動会 体育祭で安達が同じ組になれば勝てないといわれ続けた幼少期。

それでも継続こそが力になるはず・・・。

あがくことしかできない自分であるからこそ、ここまで登ってこられた。

その昨日までの自分をゼッケンに書き込まれた赤字の✖は その今までの自分をすべて否定されているようで・・・

人生初めて乗るリタイア者を乗せスタート地に戻るバスの中、

沿道を走る 灼熱の中ゴールテープを目指すランナーを窓越しに見ている自分のなんと悔しく 悲しいことか・・・

とにかく自分に腹が立ち 一時でもこの丹後の地を離れたかった。

ゴールして来る強者たちに拍手を送りながらも、競技の中にいない自分が情けなさ過ぎて泣けてきた。

本来乗る予約していたバスをキャンセルし 逃げるように電車に飛び乗り丹後の地を後にした。

京都駅に着いた頃 本来自分の中で予定していたウルトラ最後のゴールテープを切る時間であった。

 

言い訳は勝者がいうものであることが今の自分にはよくわかる。

原因のない結果はないのである。

敗者は 逃げるか 這い上がるしかない。

私はこのままでは終われない

ほんと 終わってたまるものか

 

二度と訪れる予定のなかった丹後に 来年の夏 これを最後にもう一度訪れることを決意した。

体の痛みは時が解決してくれる

心の痛みは それを克服することしか修復できない。

 

もうすぐ 中間テストも始まる。

試験勉強=原因である。

結果が出るものには、それ相応の犠牲はつきものである。

さあ ここからは塾講としての仮面をつけて 全力で生徒と対峙する日々の再開である。